ごあいさつMESSAGE

情操豊かで有為な人材を、
一人でも多く世に送り出す

学校法人 崇徳学園 理事長

奥田 耕造

今からおよそ百五十年前、明治初期のすさんだ社会情勢を憂い、親鸞聖人のみ教えにもとづいて広く社会に貢献できる若者を育成しようという安芸門徒の方々の熱い願いによって創建された学園、それが崇徳学園です。それ以来、幾多の学徒が学び、巣立ち、県内はもとより、全国各地の様々な分野で活躍する人材を輩出してまいりました。
建学の精神は、お釈迦様が説かれた『無量寿経』のなかの「崇徳興仁」というお言葉に集約されています。これは、徳を崇(たっと)び、人の道を盛んにしようというこころを意味しております。
このこころに基づいて、学業はもとより、スポーツや芸術などあらゆる分野において生徒たちの能力を掘り起こし、育むために、教職員が一丸となって取り組んでおります。
21世紀をになう情操豊かで有為な人材を、一人でも多く世に送り出すことが学園の夢であり、目標であります。

伝統を継承しながら、
日々研鑽し発展する努力を重ねる

崇徳中学校・高等学校 校長

松尾 耕司

本校は、開校149年の伝統をもち、「文武両道」の校風のもと、これまでに3万5千人を超える、様々な分野で活躍する有為な人材を輩出してきました。今後もこれまでの伝統を引き継ぎつつ、これからの時代を担える人材の育成を目指した教育を行っていきたいと考えています。
崇徳の教育は、建学の精神「崇徳興仁 務修礼譲」のもと、教職員が日頃から積極的に生徒との関わりを持ち、生徒が自主的、自律的に行動でき、個性を発揮するように支援しています。また、課外活動も積極的に奨励しています。
生徒と教職員が共有する目的は、『Sotoku Pride(誇り)をもって、未来を生き抜くことができる生徒の育成をする』であります。すなわち、自分の考えで、何事にも主体的に実行し、他者をリスペクトできるしなやかな心を持ち、お互いに協力し合い、現在を知り、未来を考える手法を学ぶということです。

建学の精神FOUNDING PRINCIPLES

崇徳興仁
務修礼譲

親鸞聖人が「真実の教え」とされた『仏説無量寿経』の中に
「崇徳興仁(そうとくこうにん)務修礼譲(むしゅらいじょう)」があります。
本学園創立にあたって、明治時代の本願寺門主「明如上人」から
『善い行いを尊び(崇徳)、思いやりの心をおこし(興仁)
つとめて礼儀を守り互いに譲り合う(務修礼譲)』という教えを賜り、
これを建学の精神としています。

校訓四綱領PRECEPT

崇徳生が守るべきつの教訓

健 康
誠 実
精 進
感 謝

お釈迦さまや親鸞聖人のみ教えに基づいて、豊かな宗教的情操と高い教養を身につけ、
人生に生きがいを感じながら、世のため人のために貢献できる
有意なる人材を育成することを本学園の目標としています。

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健康

心身ともに健康で自立心のある人間の養成

私たちの身体は、私たちに与えられている一番大切なものです。その健康の維持増進をまず心がけましょう。次に心の健康に注意しましょう。健康な心の人とは、次のような人です。

  • 自分のことで喜ぶより、人に喜んでもらうほうがもっとうれしいという人。
  • 感動することのできる柔軟な心の人。心の健康を大切にしましょう。

誠実

まごころで生き、働く人間の養成

「まごころ」です。誰もが持っている本気・本心です。これをごまかしたり、おおい隠したりせず、まごころで生き働く時、その人に与えられた力が本当に発揮できるのです。まごころで生き、まごころで学びましょう。

精進

精一杯努力する人間の養成

善に向って努め励むこと、つまり「努力」と同じ意味です。人は今なすべきことに集中して打ちこみ、努め励むとき本当に生きているといえるのです。頑張りましょう。

感謝

生かされている尊いいのちに目覚めた人間の養成

私たちは自分の力で生きているのではありません。速い先祖から父母へ、そして今の私があります。また、まわりの自然・人・物、あらゆる有形無形のおかげとご恩によって生かされているのです。このことに目覚めましょう。このことへの感謝を生活の第一歩とし、いつも心の底に感謝の思いを忘れない人に、感謝の合掌ができる人になりましょう。

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学園のあゆみHISTORY

学仏場・進徳教校時代
(1875-1900)

1875(明治8)年
広島市胡町に浄土真宗篤信者達によって「学仏場」と称する寺門子弟教育の専門道場が設立された。
1877(明治10)年
校舎を市内寺町の仏護寺(現広島別院)に新築移転し「進徳教校」と称した。
1882(明治15)年
浄土真宗安芸門徒全体が仏恩報謝の懇念を結集して浄土真宗の教会結社(進徳教校:後の崇徳教社)を創立し、その結社の事業として、尊い浄財と労力の奉仕により、太田川河畔の現在地(楠木町)に校地・校舎を造営移転した。

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1883(明治16)年3月
進徳教校新校舎(楠木)での移転開校式に臨んだ西本願寺・明如上人(第21世:大谷光尊門主)は、慰労と激励の言葉とともに「無量寿経」という教典から取った「崇徳興仁(そうとくこうにん)」の名称を与えられ、崇徳教社の運営する「進徳教校」が新たにスタートした。
1886(明治19)年12月
進徳教校第1回卒業式(楠木に移転開校後、第1回)。卒業生10名。このころより明治30年(1987)頃へかけての在校生数は200名前後。
1900(明治33)年4月
本山(西本願寺)の学制改革にともない、進徳教校を「仏教中学」に改める。修業年限4年。

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第四仏教中学時代
(1901-1912)

1901(明治34)年4月
校名を「広島仏教中学」と改称。また、9月より修業年限を4年から5年へ移行。
1902(明治35)年4月
広島仏教中学は、西本願寺経営(崇徳教社も経営補助)となり、校名が「第四仏教中学」(全国に5つの仏教中学あり。修業年限5年)と変更される。生徒数は300余名。

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1907(明治40)年3月
第四仏教中学の新校舎(木造2階建)が竣工して、盛大に落成祝賀式を催す。
1912(明治45)年4月
第四仏教中学が西本願寺の強い要請によって、神戸の武庫中学(西本願寺運営)へ併合される。250名の生徒は神戸へ移り、楠木の地には生徒のいない校舎だけが残る。

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旧制崇徳中学校時代
(1913-1948)

1913(大正2)年4月
旧制崇徳中学校が、崇徳教社を経営母体として楠木の地に開校する。初代校長に観山覚道就任。第1学年2クラス(80名)のみでスタート。この年の秋に進徳教校時代の堀を埋め立てて寄宿舎2棟の新築に取りかかる等、校内整備が次々と進められていった。
1918(大正7)年3月
崇徳中学校第1回卒業式。本校生30名、専修学院生(現。仏教コース生)20名の計50名が卒業。このころの学校定員300名。翌、大正8年(1919)より400名、昭和41(1939)年に1,000名へと徐々に増員。

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1938(昭和13)年10月
崇徳中学校開校25周年記念式が、西本願寺・勝如宗主(第22世、大谷光勝門主)を迎えて盛大に催される。新講堂(鉄筋160坪)が竣工。このころの在校生数は1,000名前後。
1941(昭和16)年4月
第2代校長に竹野恵真就任(観山覚道初代校長、3月末退任)。
1945(昭和20)年8月
原爆被災により校舎全焼、生徒・教職員522名が被爆死。
1945(昭和20)年10月
広島市猫屋町の光道小学校跡の仮校舎で授業再開。
1946(昭和21)年11月
光道小学校仮校舎から楠木の現在地に復帰して、授業開始。

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崇徳学園時代
(1948-現在)

1948(昭和23)年4月
学制改革によって新制「崇徳高等学校」(普通科)がスタート。新制「崇徳中学校」を併設。
1951(昭和26)年4月
学校法人「崇徳学園」が発足して、経営母体が従来の崇徳教社から崇徳学園に移る。また、商業科を併設(昭和58年に募集停止)。
1954(昭和29)年4月
第3代校長に福島利美就任。学園の一層の発展にそなえて施設の拡充整備に努め、5期にわたる工事を経て、延べ8,400㎡の施設(体育館兼講堂を含む)が、昭和38年(1963年)に竣工。
1964(昭和39)年1月
学園創立88周年記念式典を催す。また、「創立88周年記念誌」(A4版、90ページ)を刊行。
1965(昭和40)年9月
第4代校長に金子彪就任。このころの在校生数は、高校2,000名、中学500名。
1967(昭和42)年4月
大芝町に崇徳中学校を移転し、興仁寮を併設して新たなスタートを切る。
1967(昭和42)年9月
高校図書館及び食堂、武道場を増設。
1972(昭和47)年9月
校外研修センター用地(河内町入野)を取得して、翌年3月から造成工事に着手(昭和49年春に造成工事中止となる)。
1973(昭和48)年4月
第5代校長に西田早苗就任。
1976(昭和51)年5月
学園創立百周年記念式典を催す。(諸般の事情で、昭和50年5月に実施すべき記念式典を1年遅らせて催す。)
1979(昭和54)年5月
特別教室棟(7号館。3階建)が竣工。
1984(昭和59)年4月
第6代校長に前田孝顕就任。翌年4月より特別進学コース(Aコース)を設置。
1989(平成元)年8月
第2体育館が竣工。
1991(平成3)年4月
第7代校長に中尾正就任。
1994(平成6)年8月
崇徳学園原爆物故者50回忌法要を営む。

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1995(平成7)年5月
学園創立120周年記念式典を催す。また、「崇徳学園120年史」(A5版、1,200ページ)を刊行。
1995(平成7)年12月
龍谷大学と「教育連携」を結ぶ。
1998(平成10)年4月
第8代校長に室田重法就任。
2000(平成12)年4月
第9代校長に沖本利夫就任。中高一貫教育の第1期生が入学する。本館・体育館が竣工。
2004(平成16)年4月
第10代校長に鳴川則弘就任。
2010(平成22)年4月
第11代校長に吉田義視就任。
2017(平成29)年4月
第12代校長に髙木哲典就任。
2019(平成31)年2月
慧光館・清光館・興仁館が竣工。
2020(令和2)年4月
崇徳高校特別進学コースが共学化。崇徳学園初の女子生徒が入学する。
2021(令和3)年4月
崇徳中学校・高等学校全コースが共学化。第13代校長に絹谷徹就任。
2022(令和4)年4月
第14代校長に松尾耕司就任。

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進徳教校の校地造成、新築校舎の様子(「砂持の図」明治16年)

太田川方面から眺めた第四仏教中学(明治40年頃)

武庫中学の講堂(大正初期)

「真宗崇徳教社」の本社〔会館〕(大正10年頃)

旧制崇徳中学校(大正13年)

旧制崇徳中学校生(昭和7年)

被爆した旧制崇徳中学校(昭和20年秋)

被爆後、改修して教室等に使用された講堂(昭和27年)

校地空撮(昭和29年10月)